第一報はアメリカ人記者

南京事件 増補版』秦郁彦

 ダーディン記者の第一報
 「南京における大残虐行為と蛮行によって、日本軍は南京の中国市民および外国人から尊敬と信頼を受けるわずかな機会を失ってしまった……」
 とニューヨーク・タイムスの若い記者ティルマン・ダーディン(F. Tillman Durdin)は上海沖の米砲艦オアフ号の士官室でタイプを叩きはじめた。
 チャイナ・プレスの記者から引き抜かれたばかりのダーディンにとって、この記事はタイムスに送るほとんど最初の長文原稿であり、また南京アトローシティ(Nanking Atrocity)を世界に告げる第一報でもあった。
 一九三七年(昭和十二年)十二月十日、南京城攻防戦が始まるに先だって、外国人ジャーナリストの多くは外交団とともに首都を去り、十一日夕方には残る数人が米砲艦パネー号で脱出したので、十三日の南京陥落を目撃したのは、ダーディンをふくむわずか五人だった。(p02)


 本書の第一章で扱ったように、南京事件の第一報は首都陥落の直後に脱出したアメリカ人記者によって報じられた。ついで、南京難民区に残留した国際安全区委員会(委員長はラーベ)が提供した諸情報を収録したティンパーリー(一八九八~一九五四)の著書『戦争とはなにか――中国における日本軍の暴虐』(What War Means: The Japanese Terror in China)によって欧米社会に広まった。(p253)