敵意に満ちた広島

『原爆と検閲』繁沢敦子

 中村記者がのちに記した手記によると、初めて広島に足を踏み入れた連合国側ジャーナリストへの市民の対応は敵意に満ちていた。最初に訪れた中心街の八丁堀付近の警察署では、その場にいた市民に「追い返せ」と罵倒され、被爆者を収容していた広島逓信局の焼けビルでは、「鬼気せまる様相をした火傷者が、じっと彼をにらむ。罵声を浴せかける」(「曼珠沙華」)。バーチェットはそこで収容されていた患者を見て回り、勝部玄医師から手の施しようのない症状――原爆症について説明を受けた。携帯したエルメスのタイプライターを使って原稿を書き上げ、バーチェットはその日のうちに東京行きの列車に乗る。
 その後中村記者がモールス信号を使い、苦労して同盟通信本社に送ったその記事は、九月五日付で「原爆病(The Atomic Plague)」の大見出しとともにデイリー・エクスプレス紙一面を飾った。(p07)