原爆と検閲

『原爆と検閲』繁沢敦子

 ハワイ大学教授のキーヴァーによると、メリーランド州カレッジパークにある米国立公文書館には「原爆ビル」ローレンスが書き、陸軍が検閲した二五〇ページにのぼる原稿が所蔵されているが、トルーマン大統領による広島原爆についての発表と同時にリリースされる予定でありながら、差し止められた原稿には以下の記述があった。

 トルーマン大統領は、米国の新聞とラジオのネットワークに対し、多くはすでに知っていたものの計画の性質について報道で触れることを控えてくれた、あるいは計画についての情報を入手する試みすら控えてくれたことについて賞賛の意を表明した。特にテネシー、ワシントン、ニューメキシコの各州の地元紙に対しては、大小を問わず、「記者と編集者が協力と理解を惜しまなかっただけでなく、可能なあらゆる方法で計画を支援してくれたことについて」特別に感謝を表明した。    (“Top Secret,”Media History)

 情報を差し控えることへの見返りを求める報道機関もあった。たとえば、タイム誌の編集担当副社長、エリック・ホッジンズ(Eric Hodgins)は一九四四年九月、検閲局のロックハート新聞部長に対し、「タイム誌はその話〔原爆開発〕について知っている数少ない出版社の一つであるから、その話が公表される際には事前に知らせてくれるようお願いしたい」(National Archives at College Park, MD)と要請した。
 それに対しロックハートは、ほかのジャーナリストがその件について何も要求していないと思ったら間違いであり、実際に数多くの問い合わせがすでにあったことを明らかにしている。その上でロックハートは「タイム誌あるいはその他いかなる出版物が、愛国心のために不利益を被ることは私も望んでいないので、そうならないように私ができるだけのことをやってみましょう」(National Archives at College Park, MD)と述べている。

 原爆投下の直後に発行された報道機関の業界誌エディター&パブリッシャーは、次のように第二次世界戦争における米国のメディアの役割を賞賛している。

 もっともよく守られた戦争の秘密――それは明らかになったときには、いま戦争における、そしておそらくは二〇世紀のもっとも重要なニュースとなった――は、自主検閲によって守られた。わが国の新聞とラジオの愛国心と協力に対して、これほどの賛辞はないだろう。〔中略〕民主主義の原則と自主検閲の下で活動するわが国の新聞とラジオは、その自由な報道体制が世界でもっとも優れているということのさらなる証拠を打ち立てた。        (一九四五年八月一一日付)(p132)