圧制からの解放

『世俗宗教としてのナチズム』小岸昭

 ところで、メラー・ファン・デン・ブルック監修になるドストエフスキー全集(全二二巻)は、敗戦前後のドイツの知識人に衝撃的とも言える影響を与えた。ドストエフスキーはほかならぬドイツにおいて派閥間の争いになり、反自由主義の象徴とさえなったのである。それにしても、メラーとその妻および義妹レス・ケリックの三人からなる翻訳者チーム、「E・K・ラージン」によって翻訳されたこのロシア作家の作品が、なぜこの時代にそれほど大きな衝撃力を持ったのか。それは、ドストエフスキーの作品と、多くの巻に序文を書いたメラーの神秘的・政治的なドストエフスキー解釈が、西欧を敵として戦って破れたドイツ人の目には、西欧の圧制からの解放と民族の内なる魂の発見に道をひらくための福音書のように映ったからである。(p91)


 「ドストエフスキーの精神は、未来を孕みつつ静かで夢みる大地のうえに漂っている。ロシアが目覚める時、世界はナショナルな奇蹟を見ることだろう。ナショナルな奇蹟? 確かにそうだ。政治的奇蹟はナショナルなもののなかでしか起こらない。……一民族の奇蹟は頭脳のなかにあるものではなく、血のなかにあるのだ。」
 このようにゲッベルスは、ドストエフスキーを完全に自分の同盟者に変えてしまう。そして、「ドストエフスキーは、ロシアに対する愛が、異国にほかならない西欧に対する憎悪が彼の魂を焼きつくしてしまうがゆえに書くのだ」とミヒャエルに言わせる時、彼はすでにドストエフスキーの思想を自らの西欧憎悪と国粋主義へ読みかえているのである。
 このような神話化されたドストエフスキーが、当時ヘルマン・ラウシュニングのような保守的革命家と称される人々によって広く支持されていた。(p92)