ダレー

『ナチズムの歴史思想』フランク=ロタール・クロル

 リヒャルト・ヴァルター・ダレーが代表する世界像・歴史像を分析すれば、ヒトラーやローゼンベルクのイデオロギー基盤とはかなり異なる枠組みをもった理念史の問題が明らかになる。しかも、この枠組みでは、単に異なる世界観の内容が強調されるだけではなく、別の種類の実践的政治的目標がめざされていた。ダレーは、人種を意識し大地に結びついた農民層の精神からドイツ民族を再生させようという考えの創始者かつ最も熱心な擁護者であり、ナチ党内の文明批判的、工業・技術敵対的なグループの重要な代表者である。このグループが重視したのは、まさに農業的・前工業的生活形態の「起源」への回帰――ヒトラー自身はこれをきっぱりと誤解の余地なく非難していた――であった。
 国家と社会の再農業化というヴィジョンは、民族至上主義的で国民社会主義的なグループに限られたわけではないし、そもそもドイツだけに根づいた思考形態というわけでもない。それはむしろ、十九世紀中葉以降にあらゆるヨーロッパの工業国で現れたあの包括的な潮流の一部であり、その共通分母は、工業システムの否定的影響に対する断固たる敵対であった。労働生活の技術化、機械化および合理化、唯物主義、商業主義、資本主義的経済思考、大衆化、都市化、社会的貧困化、そしてなによりも自然環境や人間自身が創り出した環境の破壊の進展――工業化のこれらすべての随伴現象は、文明批判の観点からみれば、技術的工業的発展過程をますます疑わしいものに思わせ、こうした現象のために、近代の恵みへの懐疑は、あらゆる形態の物質的進歩に対する根本的批判へと強まっていった。「工業主義」に刻印された自分たちの現在の過ちや誤りだとされたものに対して、「素朴な生活」――「無傷の」社会構造に基づき、損なわれていない農業的農民的存在様式を特徴とする――という憧憬に満ちて美化された理想像が対置された。(p128)


 土地からの離反による文化衰退
 ダレーは、彼の文明批判の基本テーゼ、すなわち「何よりもまず土地からの離反と農民的生活様式の放棄」が北方人種の衰退を、したがってまた一般的な「文化の崩壊」を引き起こしたのだというテーゼを、次々と新しい形で提示し、これを科学的だと称する多数の論拠によって証明しようとした。その際、まず第一に、歴史的情勢、歴史的な諸事件や先例が、自己の見解が正しいことの「証拠」として役立った。(p139)


 農民層の衰退は、ダレーの観点からすれば、十九世紀に北方的ゲルマン的歴史発展の危機的な運命の転換という性格を与えるあの包括的な衰退過程の、たしかに最も警告的ではあるが、唯一の兆候だというわけではなかった。衰退に関連する思考・存在形態のあらゆるものが、それまで有効であった、農業的特徴を帯びた規範や価値尺度からの決定的離反と同時に登場してきた。こうした思考・存在形態は、精神的な領域では(a)個人主義として、政治的領域では(b)自由主義として、経済的社会的な領域では(c)資本主義として現れた。個人主義自由主義、資本主義というこれら三大現象はすべて、「血」と「土」の法則とは疎遠になった態度の長期的な帰結を示しており、この態度を克服することが、「衰退の時代」に続く二十世紀の主要な課題であった。この課題の遂行に成功するか失敗するかが、北方的ドイツ的人間が新たに繁栄するのか、それとも決定的に衰亡するのかを、したがって他ならぬ人類の運命そのものを決定することになるのである。(p145)


 ダレーは、個人主義的思考を、そしてこの思考によって引き起こされた「自我の解放」を、近代初期に始まる全ヨーロッパ的な解放過程の構成要素だと評価したのではない。それはむしろ、すでに中世にドイツの地で影響力と勢力を増していたローマ的法解釈の成果であった。この法解釈にとってその努力の最高の基準は、「全体の幸福を顧慮しない……個々人の際限なき発展可能性」であり、これに対抗するのは、個々人の個別利害を全体の「より高い必要」に厳しく従属させる、ゲルマン的古ドイツ的法感情である。ローマ法の思想は、個人を、その個人的な権利およびその「自己中心性」という形で、法的考慮の中心的基準に据えたが、これに対して、ゲルマン法の理解は「私」を「われわれ」の必要より完全に後退させ、個人のあらゆる行動を社会的有益性の原理に明確に関連させることによって、個人の行動の余地を制限した。すべての法主体の価値は、自分が属する民族全体――個人はその一部としてのみ尊敬を受ける――への奉仕を通してはじめて生じる。というのは、「その生活をある事物やある仕事をなすことにおき、内的な道徳的基準を自ら、この仕事を規定する必要性から引き出すことは、北方的人間の内奥からの欲求だ」からである。ダレーが「原ゲルマン的」原則に掲げ、くり返し引用した「公益は私益に優先する」という格言もこの点に関連していた。この格言は、周知のようにすべてのナチ・イデオローグにとって、その社会思想の基準点となった。もっとも、必ずしも、ダレーの場合のように、独特な「ゲルマン的」議論に組み込まれたわけではなかったが。(p145)


 ダレーにとって、自由主義の世界観は、ローマ的個人主義と緊密に結びついており、いわば政治的なものの領域へのその延長であった。この世界観には、国家と経済の領域で「利己主義の即位」を促進し、実際にも広範に実現したといういかがわしい功績が認められる。ダレーによれば、中心にくる自由の概念、つまり自由主義運動そのもののまさに鍵となる言葉の基礎をなしているのは、自己の良心にのみ責任を負う束縛されない個人をローマ的個人主義的に強調することであった。この個人は、「欲するところをなすことができる」が、まさにそのことによって、個人的な利益の充足を求めて決して満たすことができない欲求に導かれているがゆえに、自己の衝動になすすべもなく身を任せた、結局は不自由な個人なのである。というのは、真の自由とは、全体という、個々人を結びつけ構造化する――個々人によって必要なものとして承認された――秩序の中でのみ考えうるものだからである。個人は、自発的にこの全体に組み込まれ、この全体を通してはじめて力を手にし、「全体の自由の維持に、自らの自由をも」見いだすのである。
 ダレーは、ここで、すでに十九世紀初めから通用していた決まり文句を用いている。それは、「束縛における自由」という常套句として、ドイツにおける保守主義の確固たる構成要素に属し、ワイマル共和国期には、民主主義や議会主義を批判するドイツの政治的右派の多数の代表者が唱えていた。「自由」は、この場合には一般に、何かからの自由――たとえば国家的強制の不在――だとはみなされず、何かへの自由、つまり上位の価値のために、超個人的な制度のために、この「価値」を体現する組織のために行う自律的な決定だとみなされた。(p147)


 現在において農民層を縮減させずに確実に存続させようとする者は、また、それだけではなく前近代的な農業的存在秩序を確実に回復させようとする者は、農村身分に力を与えてこれを増加させるために、全力で以下のことを行わねばならなかった。すなわち、衰退の危険があるこの農村身分にふさわしい環境を維持し、十九世紀初頭に始まった、農民の生活空間の狭隘化と減少の過程を逆転させることである。その際、まず第一に克服されるべき否定的な発展要素は、大土地所有の解除や土地の投機対象化によって生じた農業部門の経営化の傾向、および農民の土地への結びつきを徐々に弱める工業化のあらゆる結果であった。それに対してダレーが提起した別の選択肢がめざしたのは、失われたあの土地との結びつきを強化し、農民層を先祖伝来の土地に再び定着させ、これを「永遠に続く」ものとすることであった。(p154)