「侵略国」対「平和愛好国」という神話②

『戦後が戦後でなくなるとき』大澤正道

 悲劇的失敗
 第一次世界大戦についてケナンは「最も不可解な、最も悲劇的な――歴史家にとり――最も興味深い事件」といっている。サラエボの銃声一発であれよあれよという間に、ヨーロッパ中を戦争に巻き込んでしまった第一次大戦がわけの分からない戦争だったことは、ケナンにとどまらず多くの識者が指摘している。開戦当時、英国の首相だったロイド・ジョージでさえ、この戦争は「だれも欲しなかった戦争」だったと、晩年の回顧録に書いているくらいである。
 開戦当初、この戦争は数ヵ月で終わるものと信じられていた。熱狂的に兵役志願した男たちが一番恐れたのは、前線に到着する前に戦争が終わりはしないか、ということだったと伝えられている。うそのような話だが、本当である。だが彼らの恐れは杞憂に終わった。なぜなら戦争は数ヵ月で終わるどころか、五十四ヵ月、四年半にわたり延々と続いたからだ。しかも史上かつてないほど「大量の血」がヨーロッパの大地に流されたのである。
 またやはり開戦当初、この戦争は西欧文明の勝利であり、希望であるという壮大な理想主義が声高らかに謳われていた。これも信じられない話だが、事実である。ドイツの文学者トーマス・マンは「純化、解放、偉大な希望」と、この戦争を讃えたし、英国の作家H・G・ウェルズが「戦争を終わらすための戦争」と調子よく煽っていたことはすでに書いておいた。
 しかし戦争の現実はこういう根も葉もない理想主義をたちまちのうちに打ち砕いた。『西部戦線異状なし』を書いたドイツの作家レマルクは、連合国(英・米・仏など)、同盟国(独・墺)の指導者たちの輝かしい公約はすべて「正真正銘の嘘」だった、と痛烈に攻撃している。
 この大戦の悲劇的失敗はそれだけにとどまらない。「数千万の生命、数え切れぬほどの物質的損害、ヨーロッパ大陸における勢力均衡の破壊という犠牲」(ケナンは第二次大戦も含めて論じているのだが)を払って得た代価はなんだったか。ヨーロッパで民主主義が辛うじて生き残った、ただそれだけである。しかし、とケナンは問うている。「この巨大な努力と犠牲の提供は、たんに生き残る以上の何物かをわれわれにもたらすはずであったことは明らかである。それならば、われわれとして何か重大な見込み違いを、どこかで起こしたに違いないと考えねばならないのではあるまいか」と。
 「重大な見込み違い」は一体どこで生じたのだろうか。それに対するケナンの答えはこうだ。戦争が予想外に長期化し、膠着状態に陥った時点で、双方の政府と国民が冷静さを取り戻し、これ以上戦ってもなんら得るところはないことに気づき、妥協による平和回復をめざしたのだったら、まだしも納得できる。だが事態の進行はそうではなかった。
 双方が歩み寄り、新たな勢力均衡を計ろう、という意見はなくはなかった。だがそれは戦争を根絶するものではない、という理由で退けられた。旧来の勢力均衡体制こそ、現在の世界的な危機を生んだ元凶だと信じられていたからである。
 勢力均衡に代わって強力に主張されたのがドイツに対する全面勝利である。ドイツの方からいえば無条件降伏ということになる。ドイツ軍国主義の徹底的な破壊、民主主義の完全な勝利が戦争目的に掲げられ、国際連盟による公正な平和の未来が公約された。これほど輝かしい未来が公約されるならということで、「戦争中の愚行暴行は一切忘れられ、戦争による損害は償われ、傷跡は癒されるであろう」と信じられたのである。
 ケナンによれば、一九一七年一月頃でもウィルソンは全面勝利という考え方に反対していた。米国上院で行った有名な「勝者なき平和」演説(一九一七年一月二十二日)で、次のように語っている。「敗者に強制された平和とか、戦敗国に押しつけられた戦勝国の条件というものは、屈辱と脅迫の下に、忍び難いほどの犠牲をもって、受諾されるだろう。そして、それは苦痛と怨恨と苦々しい記憶を残すであろう。このようなものに基礎を置く講和条件というものは、砂上の楼閣のごときものである。」
 まさにその通りといっていい。ところがウィルソンはいったん参戦するや(一九一七年四月八日)、たちまち豹変する。最も指導的な全面勝利論者となるのだ。「どうしてこのようなことが起こるか」――それが民主主義というものだ、とケナンはいっている。ケナンは民主主義について面白い比喩を使って説明している。民主主義は彼がしゃべっている講演会場ほどの巨体と、ビンの頭くらいの頭脳を持った先史時代の巨獣に似ているというのである。(p94)


 墓穴を掘る民主主義
 この巨獣は泥沼のなかに気持ちよさそうに横たわり、周りの動きには無関心で、めったなことでは怒らない。しっぽを殴りでもしなければ、自分の利益が侵害されていることに気がつかない。だがいったん気がつくや、彼は盲目的に暴れ回る。敵方を破壊するだけでなく、自分の住家までぶち壊してしまう。彼がもう少し利口だったら、「無差別的な無関心から一気に同じように無差別的で神聖な忿怒へと駆られる」ことはなかったろう、周りの動きにもっと早く、もう少し注意深く反応し、事態の悪化に手を打つことができただろう、とケナンは述べている。
 けれどもこの巨獣はなかなか利口にはなれない。なぜなら巨獣を先導する役割を担った世論というものがこれまたあてに出来ない代物だからである。世論に対するケナンの批判はまことに手厳しい。「国民というものは政府よりも合理的とはかぎらない」し、「政治のジャングルの中で何時も鎮静剤の役割を果すとはかぎらない。」また「民主的政府をもっていると自任している国の大部分において世論といわれているものが、しばしば大衆の意見を全然代表せずに、政治家、評論家およびあらゆる種類の宣伝家など――人気集めの能力によって生活し、もし沈黙を強要されたら、陸に上がった魚のように悶死してしまう人たち――非常に騒がしい少数の連中の利益を代弁しているのではないかと思うのである」というのである。
 その結果、「短慮と憎悪に基く意見」が優勢になり、「節度ある意見」は不利になる。戦争が進むとともに「憎悪心はいよいよ凝結し、自分自身の宣伝を信じ込むようになり、穏健な人びとはどなりつけられ、汚名を着せられた。そして戦争目的は拡大強化され、全面的に極端に走るに至ったのである」。これが戦争心理というもので、洋の東西を問わず変わらないらしい。ただ戦争目的が抽象的な理念に絞られれば絞られるほど、理性の出番はなくなり、感情が荒れ狂うこととなる。
 こうして戦争は長期化し、残虐化する。「世界が民主主義を救おう」としたために、第一次大戦は不必要に引き延ばされた、と主張したのは米国の政治学者ハンス・モーゲンソーである。救われた民主主義のおかげで、戦争が絶滅戦争化していったのだから、これは歴史の皮肉どころかブラック・ユーモアではあるまいか。
 戦争が長期化し、残虐化しただけではない。さらに深刻な問題がある。戦後処理である。第一次大戦の結末をつけたベルサイユ条約が「勝者なき平和」にあらずして「カルタゴの平和」となることで、この戦争の「悲劇的失敗」はその終幕にふさわしい見せ場をこしらえるのである。つまり当初公約された「公正な平和」の確立ではなく、第一次大戦をはるかにしのぐ絶滅戦争だった第二次世界大戦が予約されたのだ。
 第一次大戦はもうすっかり忘れられたものとなっている。けれども「いろいろの出来事を調べてゆくと」、第二次大戦は「結局第一次大戦まで遡ってゆくように私には思われる。第二次大戦は、非常に広範囲にわたって当然起こるべき運命を定められていたように思える」と、ケナンは書いている。
 さらにいえば第二次大戦後の冷戦もまた、第一次大戦に淵源している。第一次大戦の際の「重大な見込み違い」が軌道修正されないかぎり、冷戦後にまた、なんらかの形で次の絶滅戦争が起こるだろう。いや、それはすでに世界各地で始まっているとみるべきなのかもしれない。その意味では一九一四年に始まった世界大戦の幕はまだ下りていない。ヨーロッパ大陸での戦争(第一次大戦)はその第一幕、ヨーロッパ、アジアでの戦争(第二次大戦)は第二幕にすぎず、戦火が全世界を席巻するまで延々と続く、新しい百年戦争となるのかもしれない。(p97)