モンサントの危機

モンサント』マリー=モニク・ロバン

 モンサントにとって事態は最悪だった。一九九七年秋以来、ヨーロッパのいたるところに赤信号が灯っていた。最初の遺伝子組み換え大豆は、ヨーロッパの港で妨害運動が起こり、出荷が停止していた。この妨害運動は、「フランケンシュタイン食品」反対キャンペーンで知られる環境保護団体グリーンピースが中心になって起こった運動である。北米ではGMOのラベル表示や在来作物との区別をさせないことに成功したモンサントにとって、グリーンピースという一粒の小石が事態の進行をこれほどまで妨げるなどということは、想定外の出来事だったのである。(p305)


 いずれにせよ、ロバート・シャピロにとって栄光の時代は終わりを告げた。一九九八年秋以降、モンサントニューヨーク証券取引所からの寵愛を失った。「モンサントの株は、この一四か月のうちに三分の一も価値が下がった」と、一年後に『ワシントン・ポスト』は報じている。「何人かのアナリストは、モンサントが会社の分割も視野に入れた根本的な改革を余儀なくされると予想している」。同じころ、『ル・モンド』はこう書いている。「モンサントはもはや、植物バイオテクノロジー業界の若手企業の一つにすぎない。一九九八年には、八六億ドルの取引高と二億五〇〇〇万ドルの損失があった。このところモンサントが巨額を費やして企てた多数の種苗業者の買収も、成果を出すにはいたっていない。投資家は、モンサントの株を買い控えている〔……〕。昨日の友は、いまや自分の評判が落ちることを恐れ、モンサントから離れていっている」(p308)