大企業の支援ばかりしていた政権

モンサント』マリー=モニク・ロバン

 議会は、モンサントに関連した書類が消失しているのを発見した。調査の結果、ロナルド・レーガン政権――ずっと大企業の支援ばかりしていた政権だ――が、アン・バーフォードに、タイムズビーチに関連する書類一式の「凍結」を命じたことがわかった。このハリウッドの元脇役俳優[レーガン大統領]がホワイトハウスに住むようになった直後にEPAの長に任命されたアン・バーフォードは、このスキャンダルの結果、一九八三年三月に辞職を余儀なくされた。バーフォードを補佐していたリタ・ラヴェルは、もっと運がなかった。彼女は「議会の調査で偽りの証言をし、調査を妨害した」ことにより、懲役六か月を言い渡された。捜査が明らかにしたところでは、彼女はいくつかの証拠物を廃棄したうえ、ひんぱんにモンサントの幹部たちと昼食をともにしていた。(p63)


 当時の規制対応部門の代表レオナルド・ガライアを中心とするモンサント社の振る舞いの巧妙さを理解するためには、ジョージ・ブッシュ(父)がロナルド・レーガン政権の副大統領であったことを思い出す必要がある。レーガンは、一九八〇年に大統領に選ばれ、さらに四年後に再選された。この共和党の二人組のスローガンは「規制緩和」であり、それは「国家管理という怪物」を退治することによって、「市場の力を開放」するものとみなされた。この新自由主義の信条は、ホワイトハウスタカ派が「官僚主義の弊害」を一掃することによって、アメリカの産業に恩恵を与えようとする意図をもっていた。彼らの目からすると、その弊害の象徴は、市場に投入される生産物の健康面や環境面への影響を検査し、規制を行なう機関であった。つまり、医薬品と食品については「食品医薬品局」(FDA)であり、農薬については「環境保護庁」(EPA)であり、農産物については「農務省」(USDA)であった。
 当時の合衆国は、新しいテクノロジーの分野で、また農業の分野で日本とヨーロッパに対して自国の優位を示すために、容赦のない戦いをはじめていた。(p222)


 一九八九年一月、ジョージ・ブッシュは大統領の座に登りつめた。そして三月には、副大統領であるダン・クエールを競争力評議会の議長に任命した。この評議会は、「経済活動を妨げる規制を減らすこと」を目的にしていた。(p226)