もっとも汚染された町

モンサント』マリー=モニク・ロバン

 「ごらんください。アニストンは合衆国でもっとも汚染された町になったのです」。デヴィッド・ベイカーは、自動車で町を案内しながら、私に次のように説明してくれた。最初に、ノーブル通りが走る中心地。ここは一九六〇年代にこの町の人々が自慢していた地区で、多くの店と二つの映画館があったが、それらも今では閉鎖されている。それから「東地区」。そこには、町の人口のわずかな割合しか占めていない白人たちが生活する瀟洒な家がまばらに残っていた。最後に、それらの鉄道の走る地区とは反対側にある「西地区」。そこでは、この町の貧困層、つまり住人の多数を占める黒人たちが、工業地帯のど真ん中に閉じ込められている。デヴィッド・ベイカーは、五五年前にこの地区で生まれた。
 私たちの車は、彼が「ゴーストタウン」と呼んだ地区に入っていった。「どれも見捨てられた家です」。(p28)


 「これがスノウ・クリーク水路です。モンサントは四〇年以上、この水路に毒物をたれ流してきたのです。この水路は工場から流れ出して、町を横切り、周囲にある川へと流れ込みます。その川に毒が流れ込むのです。モンサントはその事実を知っていたのに、まったく公表しなかったんです……」
 二〇〇五年三月、アメリ環境保護庁(EPAアメリ環境保護庁については、本書でこれから何度も取り上げる)が秘密にしていたレポート(現在は機密解除されている)によれば、一九二九年から一九七一年までにアニストンで製造されたPCBは、三〇万八〇〇〇トンである。その内、二七トンが貯蔵所に配送される途中に大気中へ放出され、八一〇トンが設備の清掃後にスノウ・クリークなどの水路へと流された。さらに、三万二〇〇〇トンの汚染廃棄物が、工場の敷地内にある屋外ゴミ置き場に捨てられた。つまり、この町の黒人コミュニティーのど真ん中に捨てられたのである。(p29)


 私たちが工場の敷地を歩き回ろうとしていたら、霊柩車がクラクションを鳴らしながら近づいてきて、私たちのそばに停車した。「ウィリアム牧師です」。デヴィッド・ベイカーは、霊柩車にいた人物を紹介してくれた。「彼は、アニストンの葬儀屋もやっているのです。叔父さんから店を継いだんです。彼の叔父も、とても珍しいガンで亡くなりました。PCB汚染に特有のガンだったのです」
 「悔しいことに、彼だけじゃないんですよ」と、ウィリアム牧師が口を挟んだ。「今年は、少なくとも一〇〇人、ガンで亡くなった人々を埋葬しました。二〇歳から四〇歳までの若い人たちも大勢いました……」
 「彼の叔父のおかげで、この町を襲った惨事の正体がわかったんです」と、つづいてデヴィッド・ベイカーが言う。「それまで何十年もの間、私たちは仲間の死を、よくわからない運命だとしか思えなかったんです……」(p30)


 すでに見たとおり、アニストンの村を横切って流れているこの水路には、産業廃棄物が流されていた。この科学者は「すべての魚が平衡感覚を失い、三分以内に死んだ。その半分は血を吐いていた」と述べている。この水路網のあるところでは、水があまりにも汚染されているため、「たとえ三〇〇倍に薄めても、魚がすべて死んでしまうほどである」。(p38)


 ケン・クックは、ため息をついて言った。「なかでも最悪なのは、モンサントが町の西地区の水や土や空気がひどく汚染されているという事実を、アニストンの住民にはけっして伝えなかったことです。政府や地方の行政機関だって、この事実に目をつぶっていただけでなく、モンサントの陰謀に荷担していたんです。なんというスキャンダルでしょう! こうした悲劇が起きた理由の一つには、当時の指導者たちの人種差別があると思います。この地域には黒人しかいなかったのですから……」(p40)