ケニアの森林事情

『世界の森林破壊を追う』石弘之

 ケニア

 ヨーロッパによるアフリカ支配は、膨大な人的・経済的搾取と回復不能な環境の破壊をもたらした。一八九五年にイギリスが公式に占領してから一九二〇年代までの間に、ケニアの経済と自然は激変した。
 この間、ケニアの経済はアフリカ人の利害ではなく、大英帝国全体の発展に植民地がどう貢献できるか、本国が必要とする産品をどう供給するか、というイギリス側の要求に翻弄された。この要求に従って、ケニア経済は商品作物への全面的な依存にむけ性急に再編成が進められた。(p86)

 

 一九世紀の後半になるまで、大英帝国内のコーヒー産地の中心はセイロン島(スリランカ)だった。
 しかし、一八六九年以来、セイロン島でコーヒーの木にサビ病が大発生して収穫量が急減し、コーヒーから茶の栽培に切り替えられた。ヨーロッパでのコーヒーの消費が急増するとともに、ブラジルが主産地の座に躍り出て、一九世紀末には世界生産の四分の三を独占するまでになった。
 イギリスはブラジル産コーヒーに対抗するために、一九〇七年以降ケニアでコーヒー栽培を奨励し、一九二二年には七〇〇を超える農場でコーヒーが栽培された。(p87)

 

 植民地政府は地元民の主食用にトウモロコシを導入して、東アフリカの主食であるウガリの原料は、次第にヒエやアワの雑穀からトウモロコシに代わっていった。だが、干ばつに強い土着の雑穀から水不足に弱いトウモロコシが主食になったことで、干ばつのたびにアフリカの食糧危機は深刻になっていった。
 こうしたプランテーション方式の経営は、地元の労働と環境を搾取することで成り立っていた。まず、大規模な商品作物の栽培には、労働力の確保が必要だった。農場主は、現地の労働力をなるべく安価に確保するために、植民地政府に圧力をかけてアフリカ人の土地所有を規制していった。狙いは現地民に土地を持たせずに、入植者の農場やプランテーションの労働力として雇い上げることにあった。
 さらにアフリカ人の自作農を賃金労働者に追い込むために、さまざまな方策がとられた。現金で支払わなくてはならない住宅税と人頭税が導入され、地元民の居住地は縮小され、狭い「保護区」に押し込められた。輸入関税をかけてアフリカ人のための物価は上げ、ヨーロッパ人の農場の農機具などは免税にした。税金は一九二〇年以後急速に高くなり、アフリカ人は身分証明書の携帯を義務づけられた。(p88)

 

 ケニアの地元民人口は、一九〇二年の四〇〇万人から一九二一年には二五〇万人にまで減り、一九二〇年代の終わりごろには、ヨーロッパ人の一人当たりの平均収入はアフリカ人の二〇〇倍になった。ヨーロッパ人が経営するプランテーションの農作物の生産は、一九一三年にはケニアの輸出量の五%に過ぎなかったが、一九三二年には七六%にもなった。コーヒーだけでも全体の四〇%に達した。(p90)

 

 一九三〇年代には、伝統的経済からヨーロッパ人支配の植民地経済へ移行し、最終的に国際経済へと統合された。だが、急ピッチの開墾のために森林は急速に失われていった。ヨーロッパ人入植者は短期間で最大の収益をはかるために、商品作物の連作に走り土地を悪化させていった。(p90)

 

 急減するケニアの森林
 ケニアの古い森林統計で信頼できるものは少ないが、もともと国土に占める森林面積は一七%とも三〇%とも推定されている。これが、一九八〇年の調査では三・〇%になり、現在は二・三%しか残されていない。現在、疎林を含めて約一二九万ヘクタールある森林のうち、年間約三四〇〇ヘクタールが開墾や伐採のために消失している。
 私がはじめてケニアを訪れた七〇年代初期には多くの森林が残されていたが、いまやわずかに断片として残るだけだ。私が働いていたナイロビ郊外の国連環境計画(UNEP)本部の裏手にも、珍しく緑が豊かな「カルラの森」が茂っていたが、現在目に入るのはまばらに生える植林したユーカリだけになってしまった。
 一九九九年には、カルラの森で植林していたワンガリ・マーサイさんが、何者かに頭を殴られて大けがをした。彼女はナイロビ大学の教授であり、「グリーンベルト運動」という女性の植林グループを立ち上げて、政府の開発政策に正面から抵抗して各地で植林運動を展開している。運動はいまやアフリカの一二ヵ国に広がっている。
 彼女は「ケニアでは輸出で稼いだ外貨の四分の一が海外からの借款の利子返済にあてられている。これがさらに輸出圧力を強めて商品作物を増産するために森林が消失していくのだ」と主張する。モイ前ケニア大統領は森林開発政策に力を入れており、これに反対するマーサイさんらを目の敵にして、迫害してきた。(p91)

 

 すでに、ナクル湖に流れ込むンゴスル川の水源林が丸裸となって、流量が大きく減るとともに、大量の土砂が流入して湖面の水位が下がってきた。その上、集落からの下水や農地の肥料・農薬が湖に流れ込んで汚染が進行している。
 世界自然保護基金(WWF)と地元エジャートン大学の調査では、二〇〇〇年一年間に五万羽のフラミンゴの死体が見つかった。また、一部からは重金属汚染が発見されており、その死亡の原因をめぐって論争がつづいている。ナクル湖はケニアでももっとも観光客に人気のある国立公園で、年間五〇万人以上が訪れる。このままでは、貴重な鳥とともに観光客も失いかねない。(p93)

 

 森林の急速な消失で、雨が少ないと干ばつ、多いと洪水という災害が全国的に広がっている。とくに、二〇〇〇年の干ばつで全国的に水不足の被害が大きかった原因は、水源林の破壊にあると指摘されている。(p94)