大震災も耐え抜いた森

『鎮守の森』宮脇昭 新潮文庫

 一九九五年一月一七日。ボルネオのサラワク州ビンツルの奥地で熱帯雨林再生のための現地調査をして山から下りてくると、CNNの速報テロップがテレビに流れていた。神戸で大地震があったようだ。大きな被害が出ているらしい。多くの被害、人命への影響を心配する一方で、私は生態学者として、人々とはまた別の懸念にとらわれていた。
 私は、その土地本来の森であれば火事にも地震にも台風にも耐えて生き延びると主張し続けてきた。災害対策に際して森が重要な機能を果たす意味からも、それぞれの地域の主役になる木を中心に、根の充満した幼苗を自然の森の掟に従って混植・密植して、新たに森をつくるべきだ、今からでも遅くない、と。
 その主張の根拠は、わが国の鎮守の森に代表される、ふるさとの木によるふるさとの森こそ長年の現地調査とあらゆる植物群落の比較研究から、最も強い生命力を有していると判断しているところにある。それぞれの地域本来の森の主役となる木を「ふるさとの木」と私はよんでいる。植物生態学的にいうと潜在自然植生の主木となる樹木である。神戸付近であれば冬も緑の常緑広葉樹、シイノキやカシノキやヤブツバキなどがそれにあたる。
 開発によってすでに激減している地域本来の森が、大地震のために万が一、駄目になっていれば、科学者として腹切りものであると私は感じた。そしてすぐ帰国して現場の調査に入った。科学者は自分の発言には責任を持つべきである。(p11)


 まず初めに、ヘリコプターで上空から大地震の被害の跡を調べた。私が学生だったころ見た、第二次大戦中焼夷弾で焼野原にされた東京・横浜とおなじような、大変な惨状が眼下に広がっていた。ただよく見ると、縁のかたまりが点々と散見できる。小公園のまわりの小さな樹林や神社の森は、そのまま残っているではないか。
 現地調査に入ったのは地震から一〇日ほど経ったころだった。まだ現場は濛々とほこりが立ち、私はすぐに結膜炎になった。赤い目をこすりながら倒壊した建物の間を歩いていくと、最新の技術と莫大な金をかけてつくったはずの、高速道路も、新幹線の高架橋も無残に倒壊した姿をさらしている。鉄筋コンクリートの建物も途中で折れたり、火事によって内部が真っ黒になっているものがある。猛火が襲った長田区では、すでに赤錆た鉄やブリキの塊の間で、よく見るとリュックを背負った少女とその父親らしき人が一生懸命に手で土砂を掻いていた。亡くなった母親の、奥さんの遺骨を探しているのだ。その隣では、黒い服を着てじっと手を合わせている男性もいる。鉄、セメント、石油化学製品などの死んだ材料でつくった製品が、地震国日本では何年、何十年あるいは一〇〇年のうちに必ず訪れる、自然にとってはほんのわずかともいえる揺り戻しに対して、いかに危機管理能力に劣るかということを、現場でしみじみと体感させられた。(p12)


 調べていくと、神社の森では、鳥居も社殿も崩壊しているのに、カシノキ、シイノキ、ヤブツバキ、さらにはモチノキ、シロダモも一本も倒れていない。ちゃんとそのまま森として残っている。また住宅地でも、アラカシの並木が一列あるところでは、並木が火を遮ったのであろう、アパートが焼けずに残っていた。もちろん強い火力によって、並木の片側は葉が赤茶けているが、そこで火が止まっている。しかも八ヵ月後に再調査したときには、再び新しい緑の葉が出ていた。
 猫も這い出せないくらいペシャンコになっている家々がある。六五〇〇人以上の犠牲者の多くは、この下で押しつぶされて亡くなったといわれる。ところが、家のすぐそばに土地の本来の樹木、常緑のカシノキやクロガネモチ、シイノキが一、二本あったところでは、樹木に屋根や柱がひっかかり、すき間ができている。そういう家の方が、押しつぶされずになんとか逃げ出すことができたかもしれない。
 緑の樹木は平時に少しばかり日陰になっても、葉が落ちて掃除が大変であっても、死んだ材料よりはるかに危機管理能力が高く、いかに人の命と財産を守る重要な役割を果たしているかということをまざまざと検証させられた。(p13)