『無[Ⅲ]自然農法』福岡正信

 日本人の食糧として、麦は米についで重要なものであった。玄米とともに、麦飯の味は、日本の百姓が忘れてはならない味であった。ところがその麦が、日本の国土からなくなろうとしているのである。十数年前まで、日本の冬の田圃は、一枚といえどもおろそかにはされていなかった。何かが作られていた。その大部分は麦であった。それは当然のことで、単位面積当たりの生産量は夏に米を作り、冬は麦を作るのが最高であるからである。(p238)


 アメリカからの小麦輸入を防ぐ意味で、内地で小麦品種の改良がされて、小麦の奨励をされたのが、四十年ほど前のことである。大麦や裸麦の代わりに、盛んに小麦が播かれたが、日本の風土にはパン用小麦は熟期が遅く、無理があり収量が安定しなかった。
 ところが、昭和十年ごろから日本の農林省は、麦は不要である、外国麦に太刀打ちができない、外国産の小麦が食糧が割安であるとの理由で、食糧や飼料は、外国依存の方針が中央から持ち出され、小麦作地帯の農家から、麦作は放棄されだした。
 安くてしかも苦労の種の麦作を支えていたのは、金でも労力でもなかった。ただ冬の間も田を遊ばせておくのはもったいない、惰農と言われたくはないという百姓魂が、日本の寸土を余すことなく耕せていたのである。だから、高い麦はいらないと言われ、麦の安楽死とか、のたれ死を望むというような言葉が指導者の口からもれるようになると、心の支柱を失って動揺した農民の物心両面の崩壊は予想以上に早かった。この五ヵ年ほどの間に、麦作が半減から、潰滅状態にまでなったのはその現れである。(p239)


 三十年前にはほとんど全食糧を自給していた日本が、数年前からカロリー実質食糧四〇%を割るようになり、民族資源確保が問題になりはじめて、あわてて食糧自給が云々され、麦も再生産に向かって恐る恐る再び奨励されだしたが、はたして農民の心は復活するだろうか。(p239)


『自然農法 わら一本の革命』福岡正信

 四十年ほど前には、アメリカからパン用の小麦を入れているのは不都合だから、日本で小麦を作って輸入しないようにしようという運動を国ぐるみでした時期もあったんです。その時は、岡山県なんかに、農林省の小麦の栽培試験地なんかができまして、アメリカの小麦を入れてきて日本で作るということをやってみた。けれども、結局、アメリカ産の小麦だものですから、非常に刈りとり時期がおそく、日本の梅雨に入るのです。梅雨に入るから、非常に不安定作物だといって、百姓は作りたがらなかったんですが、日本の裸麦や大麦、めん用の小麦を少し作っていた百姓にですね、アメリカの小麦を押し付けて、それを作らせたわけです。そうして、終戦後にどうなったかという、パン用の小麦は不安定作物で、病気に弱く、熟期が遅く、収穫時期に雨にでも降られますと、苦労したすえ、みな腐ってしまう。はったい粉にして口に入れるとむせて吹き出して口から飛び出る。小麦ほどあてにならない作物はないと百姓は言って笑っていたのですが、それでも辛抱して作っていた。(p117)


 ところが、アメリカの小麦粉がどんどん輸入され始めて、日本の麦が割高になってくると、今度は麦作りをやめ、やめ、と農林省は言い始めた。もちろん、麦の値が下がって、喜んでやめるような下地はできておりましたから、すぐにみんなやめてしまった。現在、山陽筋から、東海道筋に麦がないのは、一つは、百姓がやめたというよりは、四十年前に、農林省が無理に小麦をあの地帯で作らせたということが原因なのです。が、四国に渡ってみると、まだ多少、香川県愛媛県には麦が残っている。これが残っているのはなぜかといいますと、まだ多少、香川県愛媛県には麦が残っている。これが残っているのはなぜかといいますと、裸麦だから残っているんです。こういうものは、早いものは五月に刈れます。梅雨に遭わなくて刈れるから、比較的安定している。そういうことで、百姓が残してるわけなんです。小麦を作らせたことが、日本の小麦ばかりでなく、日本の麦自身をも、滅亡させる禍根を、四十年前につくっているんです。(p118)


 だから、四十年ほど前には、小麦を作れ、作れと言って、外国のものを作らせて、結局無理な、できないものを作らせ、やめてしまった。そうすると、それと一緒に、食料や飼料なんかにもなる裸麦、大麦、めん用小麦も、日本の麦よりアメリカ産の麦が、飼料価値が高いように宣伝したこともあり、がっくりした百姓はやめてしまった。さらにまた、どんどん文化程度が上がってくると、さあ、肉を食え、卵を食え、ミルクを飲め、パン食にしろということになってきてですね、西洋の栄養学にも、それが合致してるということから、外国から、飼料のトウモロコシとか大豆や麦を、どんどん入れるようになった。しかし、日本の麦では、高くつくからいらない。作る必要ないじゃないかと、そういうことでもう、内からも外からも、日本の麦作りを廃止させることをやってきたんです。そして十年たつと、食麦不足の心配ができたから、自給用の麦を作れと言い始めた。米はいらないが、今年は麦に奨励金を出すと言います。ただ作れでは駄目です。具体的な根本方針の確立、革新的農法が先決です。日本の農政は、日本の作物を追出し、日本の百姓を田圃から追出す政策をとってきた。(p118)