真の芸術

『無[Ⅱ]無の哲学』福岡正信

 真の芸術は、作為的な、苦渋に満ちた創作品でなく、自由奔放な自己流路そのままが芸術である。したがって子供の世界はそのまま芸術の世界である。子供が落書きするとき、真剣に苦しみながら描くであろうか。無心に自由な心で描くから、その絵が自由奔放な生きた絵になる。
 考え、技巧をこらしはじめたときから、その絵は死ぬる。形式にこだわりだすとその絵は動かなくなる。本来、子供はその心の歓びそのままを、すなわち自己を歌い描きまくる。ところが大人がこれに何気なくふと指図したり、水をさすと、とたんに子供は歌い描くことをやめる。大人の指図が心の負担となり、心は閉ざされ、歓びは消え、歌うこと、描くことが苦痛にさえなる。本当の自己を見失ったのである。融通無礙の真の自己を見失い、閉ざされた心の自己を自己の中に見出すようになる。そのときから歌も絵も、見失った自己を求めてさすらう陰鬱な芸術へと落ちていくのである。ところがその詩、絵を見て、世の親は上達した、上手になったと批判するのである。(p425)