原始的な技術の高次の回復

『無[Ⅲ]自然農法』福岡正信

 自然農法は、見方によれば、無為徒食の道で、消極的な原始農業への復帰と考えられやすい。ところが、自然農法は、時空を超え不変不動の座を守るがゆえに、常にもっとも古く、もっとも新しい農業となり、近代農業の最先端の極致を行く農業ともなるのである。
 真理は一定不変不動であるが、人心は常に変転して常在しないため、時と場合で時代の流れのままに見方を変え、手段を変えていかざるを得ない。中心にある真理には触れることなく、その周囲をぐるぐる回りながら流転していくのが人間の姿であり、科学の発展の足跡である。
 科学農法もまた、その轍をふんで盲目的螺旋状の回帰の道を進む。今日の新技術は明日の旧技術となり、明日の革新は後日の旧聞になる。立場を変えてみれば、今日の右は明日は左に、明日の左は明後日には右にも見えてくる。ぐるぐる回りながらその輪を拡大し、拡散していく。
 それでも中心にある真理を望見しながら、その周囲を回っているうちはよかった。人間は自然の外に真理の外に飛び出そうとするが、この遠心力に対し、自然に還ろう、真理を見ようとの心が求心力となって、からくもバランスを保っておれたからである。だが、その心の糸が切れたとき、人間は小石のように真理から遠く飛び出す。その危険がようやく科学の世界に迫っている。科学農法に未来はない。(p194)