聞書第一 一四

葉隠』山本常朝 神子侃 編著 徳間書店

 人に意見をしてその欠陥を改めさせるというのは大慈悲の心のあらわれであり、ご奉公の最も大切なことの一つである。しかし、そのやり方には大いに苦心を要する。
 人のことについて、その善悪を発見するのはたやすいことであり、それを批判するのも簡単なことだ。
 大ていの人は、人のいやがる、いいにくいことをいってやるのが親切だと心得、それが受入れられなければ仕方のないことだとしているようだ。これは何の利益にもならない。
 結果として人に恥をかかせ、悪口をいうのと同じことであり、いう側の気ばらしに過ぎない。
 人に意見をする際には、まず相手がそれを受入れる気持があるかどうかをよく判断し、互に心をうちあけ合うほどの仲となり、こちらの言葉を信頼するような状態にしなければならない。
 その上で、趣味のことなどから気持を引き、いい方、いう時期などをよく考え、手紙を利用し、暇乞の折にふれ、あるいは自分自身の弱点や失敗の話などして、直接相手に意見をせずとも思いあたるようにするのがよい。また、まず相手の長所をほめ、気分をひき立てておいて、ちょうど喉のかわいた時に水を欲するように、こちらの言い分を自然に受入れさせ、欠陥をなおしていくのが本当の意見である。大変にむずかしいものである。
 誰しも欠陥、弱点というのは長い間しみついているものであるから、一とおりのことで直せるものでないことは、自分にも覚えがある。同僚同士がお互に親しくなりあって、その欠陥をただしあい、一つ心になってご奉公につとめるようになることこそ、真の大慈悲である。いたずらに人を恥かしめて、どうしてこの目的を達することができようか。(p60)