姉と慕った親友

源氏物語のモデルたち』斎藤正昭

 紫式部の姉が亡くなった時期は不明であるが、この姉の死去が紫式部にいかに大きな衝撃を与えたかは想像に難くない。母の面影を知らずにして育った紫式部にとって、常に身近な姉の存在は大きな精神的支柱であったはずである。そうした癒し難い喪失感を、偶然ながら同じく姉妹を亡くした筑紫ゆかりの女友達との交流の深まりを通して、かろうじて和らげていたに違いない。
 しかし、この姉と慕った無二の親友との交友の結末は、悲しいものであった。

  遠き所へ行きにし人の、亡くなりにけるを、親、はらからなど帰り来て、悲しき事、言ひたるに

 いづかたの 雲路と聞かば 尋ねまし 列離れけむ 雁が行方を

 紫式部が一足先に帰京した後のこと、ようやく肥前国での友の父親の任期が終わり、その一家は帰京する。だが、待ち望んでいた彼女はそこにはいなかった。「親、はらからなど帰り来て、悲しき事、言ひたるに」とあるから、おそらく親か兄弟かが帰京早々、何か友の遺品を渡すべく、紫式部のもとを訪れたのではなかろうか。もしくは紫式部が亡き友をしのぶべく、矢も楯もたまらず、彼女の里邸を訪れたのであろう。そこで耳にした「悲しき事」――それは憶測するしかないが、死ぬ間際まで紫式部のことを口にしていたといった、胸を打つ内容であったに違いない。紫式部との再会を何より楽しみにしつつ、はかなく旅路で死んでいった女友達。紫式部はその無念さを「いづかたの……」の歌に込めた。かつて西の筑紫の方角の空をながめては再会を夢見た彼女は、その遠い西国の果てよりもなお遠い、紫式部にとって手の届かぬ所に旅立って行ったのである。(p101)