物のあわれを知ると知らないとの微妙な違い

源氏物語玉の小櫛 物のあわれ論』本居宣長 山口志義夫 訳

 そもそも人の求愛になびきやすく、浮気っぽいのは、物のあわれを知って情愛があるように見えるが、そうではない。煎じ詰めれば、浮気っぽいのは、実は物のあわれを知らないのである。この人あの人と心を移すのは、どの人をもあわれと思わないからであって、もし一人をあわれと思うなら、別の人に心を移すはずがない。
 ただし源氏の君などが、あれこれと数多くの人に思いをかけなさるのは、いずれも物のあわれを見過ごし難いのであって、浮気っぽい類いではない。その趣意は物語を味読して理解しなさい。一概には言い難い。御心ならずも藤壺中宮が源氏の君にお逢いになった事などは、非常に優れた「よき人達」であるために、物のあわれを忍び難い面もあるからである。同じ似た筋でありながら、朧月夜の君を軽薄で移り気な方とし、かの中宮(藤壺中宮)を万事に優れていて「よき人」としている。その違いを考えて物語の本意を悟りなさい。(p116)