晩年

紫式部日記』山本淳子 訳注 角川ソフィア文庫

 寛弘八(一〇一一)年五月、一条天皇は病に倒れ、六月二十二日に三十二歳の若さで崩御した。後継は彰子が産んだ敦成親王と決まった。紫式部は彰子と共に内裏を去った。……
 そうとすれば、紫式部は彰子の長男敦成が後一条天皇となり、その弟敦良が皇太弟となって、天下第一の国母となった彰子の姿を見ることができたことになる。
 筆者は、紫式部はやがて宮仕えから身を引き、晩年を静かな思いで過ごしたと考えている。古本系『紫式部集』の巻末歌がその心境を窺わせるからである。

 ふればかく憂さのみまさる世を知らで荒れたる庭に積もる初雪(『紫式部集』一一三)
 いづくとも身をやるかたの知られねば憂しと見つつ永らふるかな(『紫式部集』一一四)(p336)