この物語に恋の話が多い訳

源氏物語玉の小櫛 物のあわれ論』本居宣長 山口志義夫 訳

 人の情(こころ)が感じる事で、恋に勝る物はない。だから物のあわれが深く忍び難い事柄は、殊に恋に多いのであって、神代から代々の歌にもその辺りを詠んだ物が殊に多く、味わい深く優れた物も恋の歌に多いのであった。また今日の賤(身分の低い者)・山賤(山里に住む人)の歌う歌に至るまで、恋に関する物が多いのも自然な事であって、人の情の真実である。そして恋につけては、その状況に従って、辛い事も悲しい事も、恨めしい事も腹立たしい事も、趣がある事も嬉しい事もあるもので、様々に人の心の感じる事柄は、大体恋の中に備わっている。
 さてこの物語は、世の中の物のあわれの限りを書き集めて、読者を深く感動させようと作った物であるが、この恋の話題でなくては、人の情の様々で細かなありさまや物のあわれの特に深い所の味わいは表現し難いために、殊にこの題材を主として多く取り扱って、恋する人が様々な局面で取る行為・思う心がそれぞれにあわれである趣を、まことに細やかに書き表して、物のあわれを尽くして見せている。後世の事であるが、俊成の三位(藤原俊成)が、

 恋せずは人は心もなからまし
   物のあはれもこれよりぞしる
 (恋をしないなら人は心もないだろう。物のあわれもこれによって知る)

 と詠んだ歌こそが、物語の本意によく当たっていたのだった。(p125)