民族自決

『文化防衛論』三島由紀夫

 学生とのティーチ・イン

 学生D 最後に一言いいたいのですけれども、イギリスのピューリタン革命、フランス革命ロシア革命といろいろありましたけれども、確かにこういうふうな革命だって外面的な力と力の対立点、その接点で起ったという要素は多少ではありますけれども、あると思います。要するに力と力の接触点で起った戦争ですけれども、それでも独立というものが生れるのじゃないですか。それから発展したのじゃないですか。

 三島 独立という観念はヨーロッパが与えた観念ですね。そして民族自決主義がここへきて再びリバイブした、第二次大戦後に民族自決主義がリバイブしたのはあくまでも大東亜戦争の直接の影響だと思います。それによってアジアの諸民族が自信を持って民族独立の道を歩き出したのだと私は信じて疑いません。が、その前にも民族自決主義というものは第一次大戦後非常に唱えられたことがありますね。それによって非常に不自然な国境線が方々に引かれる結果になった。民族間で既成の国境と民族による国境とをむりやりに人工的につくり出すことからかえって国際緊張が醸し出された。これは第一次大戦後の民族自決主義の失敗ですね。戦後は一つの時代の大きな流れもありましょうが、大東亜戦争が一つのインスピレーションになって、アジア諸国における独立の機運が非常に高まってきた。これもヨーロッパの植民地主義がむりやりにつくった人工的な国境との間にいろいろな問題が派生して緊張が生じた。そしてたまたま戦後は、あなたのおっしゃるロシア革命時代のような非常に多局的な、十九世紀的な国際政治のバラエティに富んだ力の衝突の時代、ウィーン会議の時代の名残りのような力関係でなくて、ぶざまなほどはっきりした米ソ対立という形が社会を支配している。ですからそこで起る民族運動の問題と、あるいは革命の問題と、十九世紀から以降の革命の問題とは自ずから形が変ってくる。それをむりやり同じに規定しようとするところに私は欺瞞があるのじゃないかと思います。(p344)