言論の自由による正義の追究

『文化防衛論』三島由紀夫

 学生とのティーチ・イン

 三島 たとえばいま人間の正義と幸福のためにと、あなたはこう考える。別の人間は正義と幸福というものをまた別なように考える。人間個々人の考えは別々であります。あなた方と、別の人の正義と、そういう声をどうやって完全に等分に実現することができるか。政治が一つの正義を実現すれば、それは必ず言論自由の弾圧へ来るんだ、なぜなら一つの正義の実現を一党独裁の形でやろうとすれば、必ずその先には秘密警察・強制収容所がついてくる、これは人間性としての当然のことと思います。もし強制収容所もない、政治警察もない、そして正義と幸福が実現される、しかもそれが言論自由の筋道を通って実現される、私はそのようなことを一切信じません。というのは正義というのは一つの妥協の上でしか成立しないようにできているので、もしそれが妥協でない、それだけの形で実現すれば、必ずそれは言論の自由と衝突する結果になる、つまりあなたの言われたことは、言論の自由による正義の追究は必ず言論の自由の弾圧に終るということを私は言いたいのであります。ですから、言論の自由をそれほど窮屈に考えないである考えが実現するかしないかわからんが、とにかく言いたいだけ言ってやろう、言いたいだけ言ってやることによってそれが微妙な影響を相手に及ぼし、また微妙な影響が来るかもしれないが、それによって徐々に実現していく他はないというのが言論自由というもののどうしようもない性質だと考えます。(p245)