死の哲学

葉隠入門』三島由紀夫

 「葉隠」がかつて読まれたのは、戦争中の死の季節においてであった。当時はポール・ブールジェの小説「死」が争って読まれ、また「葉隠」は戦場に行く青年たちの覚悟をかためる書として、大いに推奨されていた。
 現在、「葉隠」が読まれるとすれば、どういう観点から読まれるかわたしにはわからない。もし、読まれる理由があるとすれば、むしろ戦争中とは反対の裏側の事情で、いまわれわれの眼前に巨大な死のフラストレーションが、広がっているからとしか説明がつかない。あらゆる欲求不満が満足されたあとに、死だけがわれわれの欲求不満になっているのである。そして、その死を美化するといなとにかかわらず、死が存在し、少しずつわれわれを侵していることは、まったく疑問の余地はない。
 若い人は観念的に死を夢み、中年以上の人は暇があればあるほどガンの恐怖におびえている。そしてガンこそは、どんな政治権力もあえてしないような残酷な殺人なのである。
 日本人は、死をいつも生活の裏側にひしひしと意識していた国民であった。しかし日本人の死の観念は明るく直線的で、その点、外国人の考えるいまわしい、恐るべき死の姿とは違っている。中世ヨーロッパにおける大きな鎌を持った死神の姿は、日本人の脳裏にはなかった。また、メキシコのように死がわがもの顔にはびこっている、あの激しい太陽の下の、夏草の繁茂におおわれた、古いアズテックやトルテックの廃墟が、いまなお近代都市のかたわらに屹立している国におけるような死のイメージとも、日本人の死のイメージは違っている。あのような荒々しい死ではないし、何かその死の果てに清い泉のようなものが存在していて、その泉のようなものから現世へ絶えずせせらぎがそそいでいるような死のイメージは、長らく日本人の芸術を富ませてきた。
 われわれは西洋から、あらゆる生の哲学を学んだ。しかし、生の哲学だけでは、われわれは最終的に満足することはできなかった。また、仏教の教えるような輪廻転生の、永久に生へまたかえってくるような、やりきれない罪に汚染された哲学をも、われわれは親しく自分のものとすることができなかった。
 「葉隠」の死は、何か雲間の青空のようなふしぎな、すみやかな明るさを持っている。それは現代化された形では、戦争中のもっとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。神風特攻隊は、もっとも非人間的な攻撃方法といわれ、戦後、それによって死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名をこうむっていた。しかし、国のために確実な死へ向かって身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあったに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、「葉隠」の明快な行動と死の理想に、もっとも完全に近づいている。人はあえていうであろう。特攻隊は、いかなる美名におおわれているとはいえ、強いられた死であった。そして学業半ばに青年たちが、国家権力に強いられて無理やりに死へ追いたてられ、志願とはいいながら、ほとんど強制と同様な方法で、確実な死のきまっている攻撃へかりたてられて行ったのだと……。それはたしかにそうである。
 では、「葉隠」が暗示しているような死は、それとはまったく違った、選ばれた死であろうか。わたしにはそうは思われない。「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かって、われわれの決断を促しているのであるが、同時に、その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たわっている。人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強いられることもできない。たとえ、強いられた死として極端な死刑の場合でも、精神をもってそれに抵抗しようとするときには、それはたんなる強いられた死ではなくなるのである。また、原子爆弾の死でさえも、あのような圧倒的な強いられた死も、一個人一個人にとっては運命としての死であった。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追いつめられた形でしか、死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相克が、永久にまつわりついている。ある場合には完全に自分の選んだ死とも見えるであろう。自殺がそうである。ある場合には完全に強いられた死とも見えるであろう。たとえば空襲の爆死がそうである。
 しかし、自由意志の極致のあらわれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、ついに自分で選んで選び得なかった宿命の因子が働いている。また、たんなる自然死のように見える病死ですら、そこの病死に運んでいく経過には、自殺に似た、みずから選んだ死であるかのように思われる場合が、けっして少なくない。「葉隠」の暗示する死の決断は、いつもわれわれに明快な形で与えられているわけではない。目の前に敵があらわれ、それと戦い、そして自分が死ぬか生きるかという決断を自分で下して死ぬというような状況は、たとえ、まだ日本刀以上の武器がなかった時代でも、いつも簡単に与えられていたものではない。それが証拠に山本常朝自身は、六十一歳まで生き延びたのである。
 すなわち、「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強いられた死だと、厳密にいう権利はだれにもないわけなのである。問題は一個人が死に直面するというときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかという人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかという問題である。
 そこで、われわれは死についての、もっともむずかしい問題にぶつからざるをえない。われわれにとって、もっとも正しい死、われわれにとってみずから選びうる、正しい目的にそうた死というものは、はたしてあるのであろうか。いま若い人たちに聞くと、ベトナム戦争のような誤った目的の戦争のためには死にたくないが、もし正しい国家目的と人類を救う正しい理念のもとに強いられた死ならば、喜んで死のうという人たちがたくさんいる。これは戦後の教育のせいもあるが、戦争中誤った国家目的のために死んだあやまちを繰り返すまいという考え方が生まれて、今度こそはみずから正しいと認めた目的のため以外には死ぬまいという教育が普及したせいだと思われる。
 しかし、人間が国家の中で生を営む以上、そのような正しい目的だけに向かって自分を限定することができるであろうか。またよし国家を前提にしなくても、まったく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の完全に正しい目的のための死というものが、選び取れる機会があるだろうか。そこでは死という絶対の観念と、正義という地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、また歴史によって十年後、数十年後、あるいは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
 「葉隠」は、このような煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくということを考えている。なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかというときに、死ぬことをすすめているのである。それはけっして死を選ぶことだとは言っていない。なぜならば、われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。われわれが生きているということは、すでに何ものかに選ばれていたことかもしれないし、生がみずから選んだものでない以上、死もみずから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
 では、生きているものが死と直面するとは何であろうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、情熱の高さとその力を肯定して、それによって生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふは事は、上方風の打ち上りたる武士道」だと呼んでいる。死について「葉隠」のもっとも重要な一節である「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という文句は、このような生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、一刀をもって切断したものである。「図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武士道なるべし。二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。」
 図に当たるとは、現代のことばでいえば、正しい目的のために正しく死ぬということである。その正しい目的ということは、死ぬ場合にはけっしてわからないということを「葉隠」は言っている。
 「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きている人間にいつも理屈がつくのである。そして生きている人間は、自分が生きているということのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。したがって「葉隠」は、図にはずれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはずれて死んだ方がまだいいという、相対的な考え方をしか示していない。「葉隠」は、けっして死ぬことがかならず図にはずれないとは言っていないのである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
 われわれは、一つの思想や理想のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくであろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。(p84)