欠食児童の影

奔馬 豊穣の海(ニ)』三島由紀夫

 二十万人にのぼる農漁村の欠食児童の影は、都会の学生の背後には揺曳していず、「欠食児童」という言葉は、喰いしん坊をからかう流行語にしか使われない現状から、骨にしみ入るような怒りの声を聴きだすことは難かしかった。深川砂町の小学校で、欠食児童への折角の給食の握り飯が、弟や妹に喰べさせるために家へ持ち帰られるという話が、視学の間で問題になっていると報ぜられたが、ここにはその小学校の出身者はなかった。地方の中学校の教諭や神官の子弟の多いこの大学では、富裕な家の子も少ない代りに、三度の食事に事を欠く家の子も稀であった。ただ、こうした田舎の精神的指導者の家庭では、農村の荒廃、疲弊、その只ならぬ陰惨な現状はよく見聞されていた。そして彼らの父親は概ね、目に見るものを悲しみ、目に見えぬものに怒っていた。少くとも彼らは怒ることができた。なぜなら神官も教諭も、こんなすさまじい貧困と、それが放置されている状態に、何ら職業上の責任がなかったからである。
 政府は貧富をお互いによく見えない箱にうまく選別していた。そして良くも悪しくも改革を避けて通ることに馴れた政党政治は、明治九年の廃刀令のような、果敢な精神的虐殺を犯す力を失っていた。すべては生殺しの方式だった。(p205)