日輪は瞼の裏に赫奕と昇った

奔馬 豊穣の海(ニ)』三島由紀夫

 勲は湿った土の上に正座して、学生服の上着を脱いだ。内かくしから白鞘の小刀をとり出した。それが確かに在ったということに、全身がずり落ちるような安堵を感じた。
 学生服の下には毛のシャツとアンダー・シャツを着ていたが、海風の寒さが、上着を脱ぐやいなや、身を慄わせた。
 『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、けだかい松の樹陰もなく、かがやく海もない』
 と勲は思った。
 シャツを悉く脱いで半裸になると、却って身がひきしまって、寒さは去った。ズボンを寛ろげて、腹を出した。小刀を抜いたとき、蜜柑畑のほうで、乱れた足音と叫び声がした。
 「海だ。舟で逃げたにちがいない」
 という甲走る声がきこえた。
 勲は深く呼吸をして、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこへ押しあて、左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突っ込んだ。
 正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。(p444)