2018-02-27から1日間の記事一覧

太宰治

『小説家の休暇』三島由紀夫 私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説…

二・二六事件関係の資料

『英霊の聲』三島由紀夫 河出文庫 二・二六事件と私 戦時中は日の目を見なかった二・二六事件関係の資料が、戦後続々と刊行され、私が「英霊の聲」を書き終った直後に上梓された「木戸幸一日記」と「昭和憲兵史」(未発表の憲兵隊調書を収載)を以て、ほぼ資料…

蓮田善明とその死

『決定版 三島由紀夫全集36』 「蓮田善明とその死」序文 文人の倖は、凡百の批評家の賛辞を浴びることよりも、一人の友情に充ちた伝記作者を死後に持つことである。しかもその伝記作者が詩人であれば、倖はここに極まる。小高根二郎氏のこの好著を得て、蓮田…

間に合わせの繃帯

『仮面の告白』三島由紀夫 傷を負った人間は間に合わせの繃帯が必ずしも清潔であることを要求しない。(p186)

死の哲学

『葉隠入門』三島由紀夫 「葉隠」がかつて読まれたのは、戦争中の死の季節においてであった。当時はポール・ブールジェの小説「死」が争って読まれ、また「葉隠」は戦場に行く青年たちの覚悟をかためる書として、大いに推奨されていた。 現在、「葉隠」が読…

楽天的な説教好き

『葉隠入門』三島由紀夫 常朝はけっして楽天的な説教好き(人間性にもっとも無知な人びと)の一人ではなかった。(p42)

芸術の永遠の反措定

『葉隠入門』三島由紀夫 しかしわたしは、芸術というものは芸術だけの中にぬくぬくとしていては衰えて死んでしまう、と考えるものであり、この点でわたしは、世間のいうような芸術至上主義者ではない。芸術はつねに芸術外のものにおびやかされ鼓舞されていな…

恋のたけ

『葉隠入門』三島由紀夫 「(略)恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。(略)」(聞書第二 一五七頁) 恋のたけとは微妙な表現である。アメリカにおける日本文学の権威ドナルド・キーン氏が、か…

忍ぶ恋

『葉隠入門』三島由紀夫 恋愛についても「葉隠」は、橋川文三氏のいうように、日本の古典文学の中で唯一の理論的な恋愛論を展開した本といえるであろう。「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこい)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんとう…

損得勘定

『葉隠入門』三島由紀夫 「勘定者はすくたるるものなり。仔細は、勘定は損得の考するものなれば、常に損得の心絶えざるなり。死は損、生は得なれば、死ぬる事をすかぬ故、すくたるるものなり。又学問者は才智弁口にて、本体の臆病、欲心などを仕かくすものな…

小事の思案

『葉隠入門』三島由紀夫 常朝が言っている「小事の思案は重くすべし。」というのは、アリの穴から堤防が崩れるように、日常坐臥の小さな理論、小さな思想を重んじたことと考えられる。それが現代のようにイデオロギーのみが重んじられて、日常生活の瑣末のし…

現代

『葉隠入門』三島由紀夫 現代の折衷的な風潮は、美しく生き、美しく死のうとしては、実は醜く死ぬ道を選び、醜く生き、醜く死のうとしては、実は美しく生きる道を模索しているというところにあるのであろう。(p20)