スメルジャコフ=ユダ

『謎とき『カラマーゾフの兄弟』』江川卓

 ドミートリイやイワンだけでなく、アリョーシャにも彼を異母兄弟として遇している節はない。しかし、アリョーシャがまとめたゾシマ長老の説教には、一個所、明らかにスメルジャコフ=ユダを意識しているらしいところがある。説教の最後「地獄と地獄の火について、神秘論的考察」の章にそれは出てくる。
 「しかし地上においておのれを滅した者、自殺者こそあわれである! 私の考えるに、これより不幸な者は他にありえまい。これらの人々について神に祈るのは罪なことだと言われ、教会も表向きは彼らを受け容れることを拒んでいるかのようであるが、私は心の奥底では、これらの人々についても神に祈ってかまわぬのではないかと考えている。愛ゆえにキリストが立腹されることもなかろうではないか。神父のみなさん方、ここで告白しなければならないが、私はこれまでの生涯、心のうちでかかる人たちのために祈ってきたし、いまも日々祈りを欠かさない」
 ユダもまた自殺者であった。となると、ここでゾシマ長老は、「ユダのためにも祈れ」、「ユダのために祈ってもキリストが立腹されることはない」という、正統教会においてはけっして許されないだろう恐ろしい思想を語っていることになる。ゾシマ長老自身がそこまでの思い入れをこの言葉にこめていたかどうかは明らかでない。しかし少くとも、ゾシマ長老に代ってその説教を記したアリョーシャの心底には、スメルジャコフの死との連想もあって、そのような思想が熟そうとしていたことは疑う余地がない。(p202)

偽善―悪徳のなかの悪徳

『革命について』ハンナ・アレント ちくま学芸文庫

 偽善が悪徳のなかの悪徳であるという考えがこれほど真実味があるのは、この偽善さえ犯さなければ、その他のいっさいの悪徳が覆いつくしているばあいでも、高潔さが実際存在しうるという点にある。たしかに犯罪と犯罪者だけが、根本悪の難問の前にわれわれを立たせる。しかし、偽善者だけが本当に芯から腐っているのである。
 「君が存在したいと思うように現われよ」というマキャベリの勧めも、偽善の問題とまず関係がない理由がもうおわかりのことと思う。マキャベリは腐敗、とくに教会の腐敗を十分よく知っていた。イタリアにおける人びとの腐敗は教会に責任があると彼はいおうとしたのである。(p154)

なぜ原爆は使用されたのか

終戦論 なぜアメリカは戦後処理に失敗し続けるのか』ギデオン・ローズ

 軍の上層部は以前からアメリカとソ連の協力を大いに主張していた。たとえば一九四五年四月におこなわれたある重要な会議で――ソ連外相モロトフに対するその直後のトルーマンのとげとげしい言葉からこの会議はときに冷戦の始まりとみなされている――、マーシャルはローズヴェルトの政策を少しでも変更することに反対した。マーシャルは「ソ連には、ソ連参戦がこちらの役に立つあいだに参戦してもらいたいと思っている。連中はわれわれが汚れ仕事をやり終えるまで、わざと極東での戦いへの参加を遅らせているのだ……。ソ連との同盟関係を断つ可能性は慎重に考慮しなければならないというスティムソンの意見に賛成だ」と述べている。熱意は徐々に冷めていったものの、ソ連との協調を維持するという基本的な姿勢はその夏いっぱい続いた。歴史家のマイケル・シェリーは次のように書いている。

 アメリカ軍最高司令部は、最後まで日本本土侵攻を一つの可能性として考えていたし、原爆の効果を十分に見抜いていなかったし、日本がいまでは難しくなっているソ連を介しての和平工作にしがみついているのをあざ笑っていた……。軍首脳部が、原爆の使用がソ連の指導者たちに警告を発し、少なくともアメリカの対ソ政策を強化するという副次的な利益をもたらすかもしれないと推測していたのはまちがいない。だが、……ソ連の野望がどれほど恐るべきものか判断しかねていたし、日本やドイツがまだ危険な力をもっているかどうか判断しかねていた。

 日本の抵抗は夏に入ってもこれまでと変わらなかったため、「アメリカ軍は、ソ連の参戦が日本に降伏を迫る手段として必要不可欠なものと考えていただけでなく、日本の指導者たちを降伏する気にさせるありとあらゆる手段を集めたいと思っていた」。七月二四日には、アメリカ・イギリス両国の参謀総長が、「ソ連に対日参戦をうながすように。さらにそれに関連して、ソ連の戦闘力に対して必要かつ実際的な強力な援助を与えるように」という希望を文書化することを承認している。

 では、ロシアを威嚇する目的で原爆が投下されたのではないとすると、なぜ原爆は使用されたのか? それは、総力戦としての戦いが続行中であったことと、関与していた人々の思考が官僚的かつ惰性的になり、また過去の経験や考えに固執するようになっていたため、何かほかの方針をとることなど想像もできない状態になっていたからである。原爆の使用は、利用できる戦力はすべて動員するという既存の方針の単なる延長にすぎなかったのである。スティムソンはのちに「一九四一年から四五年にかけて、大統領や誰かアメリカ政府内の責任ある人が、原子エネルギーを戦争に利用すべきではないと言うのを聞いたことがない」と書いている。この新兵器が実戦使用可能になると、「原爆を投下し、突出した軍事的・外交的利益を得ることを思いとどまらせるほどの、道徳的・軍事的・外交的・官僚主義的考慮はどこかへいってしまった」。まさに日本が降伏しようとし、またアメリカ・ソ連の結びつきが切れかけているときに原爆が実戦使用可能になったのは歴史のいたずらである。たとえいつ完成されようと、原爆はすぐに利用されただろう。
 当然のことながら、原爆の実戦使用を強く主張したのは、マンハッタン計画の指導者たちや、二〇億ドルもの経費を計画に注ぎ込んだ政治家たちであった。マンハッタン計画の責任者レスリー・グローブズ陸軍少将は次のように述べている――「計画の責任者に任命されて以来……、できるだけ早く原爆を開発・製造し、実戦で利用できるようにするのが自分の務めであることにいささかも疑問を抱かなかったし、その任務を達成するために全力を傾けたといえる」。グローブズは内輪の議論において強硬に官僚的・政治的な論陣を張っていた。

 連中はこの爆弾を使わないわけにはいかないだろうとわたしは言ってやった。なぜなら、もしそれを使わなければ、多くの非難をローズヴェルト氏が浴びることになるのだ――そんなに莫大な金と労力を費やしておきながら、完成したのになぜ使わなかったのかと。投下可能なのに原爆を使わなかったとすれば、いずれこの一件はどこよりもまず議会において審問を受けることになるだろう。アメリカの政治を知っていれば、選挙において、戦死した息子をもつ母親の力がいかに強いかをみなさんもわたし同様よく分かっているはずだ。原爆を使用しないとすれば、原爆投下が可能になった日以降に流された血に対する責任は、すべてそのような決断をした大統領にあるのだ。

 グローブズ以外の軍関係者は原爆の使用に関心を示さなかった。原爆の使用がこの戦争を終わらせるのに必要であるとか、決め手となるとは思っていなかったことと、兵器に革命的な変化がもたらされると今後自分たちの役割の重要性が低下してしまうと考えたことがその主な理由だった(たとえば、アーネスト・キング海軍作戦部長は回顧録のなかで、「事を急がなくてもかまわなかったら、海上封鎖の効果が出て日本を降伏に追い込めたのに」と残念そうに述べている)。
 原爆二発がほとんど間をおかずに投下されたが、これは日本に二度打撃を与えることを意識しておこなわれたのでもなく、それぞれの投下決定が個別になされたわけでもなかった。これは、原爆二発が実戦利用可能となったことと、「原爆が実戦利用可能となれば、中止命令が出るまですみやかに順次投下する作戦が最初に計画されていたためである。だから二発目を投下するのに命令は不要だったのだ。命令が必要になるのは、投下しないことになった場合だけだった」。これはマンハッタン計画の責任者たちの希望および利益と合致していた。彼らは二種類の核兵器を開発していた。砲身型(「リトルボーイ」)と爆縮型(「ファットマン」)である。「二種類の原爆を組み立てる必要があったのかというアメリカ国内でもちあがっている疑念を抑えるには、日本の都市に原爆を二発投下するしかなかったのだ」。(p162)

世論調査

終戦論 なぜアメリカは戦後処理に失敗し続けるのか』ギデオン・ローズ

 一九四四年一二月におこなわれた世論調査では、「戦争が終結したら日本国に対してどのような処置をとるべきだと思うか?」という設問に対して、一三パーセントの回答者が「日本人をすべて殺す」ことを望み、三三パーセントの回答者が国家としての日本を破壊することを支持していた。ドイツに関しても同様な世論調査がおこなわれているが、第一の選択肢に相当する「ドイツ人の全員殺害」の項目はなかった。
 一方、一九四五年六月に実施されたギャラップ調査では、戦争が終わったら天皇をどう処置するべきかという設問に対して、処刑を是とするものが三三パーセント、戦争犯罪裁判にかけるべきとするものが一七パーセント、投獄すべきとするものが一一パーセント、国外追放すべきとするものが九パーセントだった。名目上の指導者だからという理由で容赦すべきだとしたのは四パーセント、戦後の日本の管理に利用すべきだとしたのはわずか三パーセントであった。アメリカ国民は日本に対して譲歩することのない政策をとることによって、自分たちが耐えるべき負担が大きくなってもよいと覚悟していたようでもある。一九四五年六月におこなわれた調査ではこう尋ねている――「われわれが占領軍を日本本土に上陸させないと約束したら、日本は降伏を申し出て、外地の日本兵を復員させるかもしれない。機会があればそのような和平提案に応じるべきか、それとも日本本土で日本を徹底的に叩きのめすまで戦うべきか?」。これに対して八四パーセントの回答者が戦い続けることを希望し、和平提案の受け入れを支持したのはわずか九パーセントだった。八月一〇日、日本が天皇の地位を保証することを条件にポツダム宣言を受諾する旨を初めて表明すると、アメリカの世論はこのような取り引きに強く反対した。ギャラップ調査では、日本の申し入れの受け入れに反対する人と賛成する人の割合は、ほぼ二対一だった。『ワシントン・ポスト』紙は、議会の空気は日本側の申し入れ受諾に三対一に近い割合で反対だと推測していた。(p155)

原爆投下の背景

『図説 アメリカ軍の日本焦土作戦』太平洋戦争研究会 編著

 さまざまな文献を読むと、現実にトルーマン大統領はじめアメリカの政府・軍部要人が原爆投下に踏み切った背景は、次の五点に集約されそうだ。

 第一は、アメリカ人は、西漸運動時代にインディアンをそう見たように、日本人を野蛮な人種、いや冷酷な野獣と考えており、日本には保護されるべき民間人はいないという考え方が根底にあった。(p166)


 第三点に関しては、もっともらしい理由の最たるものではある。マーシャル参謀総長やスチムソン陸軍長官が最後の段階で原爆投下を多少躊躇していたことは事実のようだ。その弱腰を奮い立たせるように少なからぬ科学者や政治家がこの立場にたった。(p167)